平和を願う心

最近、毎日、エンゼルス・大谷選手の大活躍に喜んでいます。

しかし、その一方でアメリカによるシリア攻撃のニュース…。

 

普段、アス高では日常でこうした話をすることはあまりありません(先月卒業したNは、こうしたことにもとても関心のある生徒でしたが)。

 

私は10年ほど前、シリアを旅していたこともあったので、余計に他人ごとに思えないということもあるのですが(現地の人達や子供達と本当に良い日々を過ごしました)、何処であれ、やはり無関心ではいられません。

 

私が前に勤めていたスクールを辞め、新たな立上げを思い立った理由のひとつが、前の所があまりに酷かったから。

その一例としてこういうことがありました。

ある職員が集会の時、生徒に向かって(その職員は社会の担当でもあった)こういう内容の発言。

「今、内戦とかしているあの地域は、歴史的に重要な遺跡などもある。それらが壊されるのは聞くに堪えない。どうせ戦争するなら、そうしたものは壊さずに、人だけが死ぬようにやってほしいものだ」

それも笑いながら。・・・本人は冗談として言い、ウケたかったのだろう。

私は、それこそ聞くに堪えられず、その場を退席。

後でその発言について、その職員を非難したのだが、喋っている途中で退席した私を、人の話を聞く態度としてどうかと逆に言い返す始末。

そういう言動に対して、スクールの代表者も何も咎めようとしない。

・・・こんなところで生徒をまともに育てられない。

そうした経緯がありました。

私は今でも憤りを禁じ得ません。

 

アスキ学院でも、やって来る生徒の殆どは自分のことで一杯一杯の生徒達。

また、楽な気持ちになろうと、面白おかしいことに気持ちを向けることも多いですし、我々も楽しくやってほしいと思っています。

 

けれど、どうか人としてのあるべき感情、優しさ、つまりは人間性を大事にしてほしいと願っています。

自分が幸せであることはとても大事。

でも、他人の幸せを自分の幸せとして、他人の不幸を自分のそれとして感じられる人であってほしいと思います。

・・・そのために、私自身がそうありたいいと思いますけれど。

 

学校で学べる幸せ。

平和に暮らせる幸福。

・・・感謝を忘れたくないですね。

 

そして、苦しんでいる人への優しさを。