自分だけの人生

熱中症厳重注意の予報が出ている中、今日も30km走って来ました。

・・・救急車のご迷惑にはならないよう気をつけますので(しかし、過信はいけないのでしょうけれど、‘慣れて’るんですけどね)。

 

ちょっと気になるニュースが目に留まりまして…。

 

小中学生が目指す将来の目標は「安定」  ←リンク張ってあります。

 

私は全日制の学校を離任して何年にもなりますけど、もし今、復職して、前のように自分についての‘雑談’を始めたら、生徒らはシラケてしまうのでしょうか。

私、基本的に他人の価値観に干渉するのは好きでないんですけれど、正直、何だかなぁ~とは思いますね。

特に、男子生徒がそうだっていうことじゃないですか。

恐らく生物学的にも、女性というのは子を守り育てるという立場からも、安定を望む傾向というのは普通だと思うんですよね。しかし、男がそれじゃちょっとヤバくないか、とお節介ながら思ったりとか…。

 

自分で言うのも何ですが、私とか少なくとも、安定とか平凡とかいうのをハナから否定するような生き方してるしなぁ。それも、所謂、運命に翻弄されるとかいう、望んでもいないのにというのではなく、自分からやっちゃってるし…。

外国とか行くのも、安全な所じゃ飽き足りない(外務省のお世話になるようなことはしないようにしてますけど)。

正直、外国行くなら治安のいい所なんてのが私には理解不能。困ったものですね。

 

自分に言わせれば、安定を絵に描いたような人生って退屈だろうなぁ。

人は刺激やスリルを求めて、アミューズメントパークのアトラクションとかやってみるんだろうけど、結局はバーチャル体験に過ぎない。

 

前に触れたことがあったかもしれませんが、患者を看取る看護婦さんに依れば、死んでいく人の大半が後悔として述べる言葉があるのだそうで…。その中で上位にあがっているのが、本当にやりたいことをやっておけばよかった、ということらしいですね。

俺、多分、近々死ぬことになっても、そういう後悔はしない自信はあるんですよ。

 

よく、幸せは自分の心で決めるものとか、人は幸せを求めて生きているとか言われますけど、私としては、それこそ死ぬ時に振り返って満足出来れば、それが幸せって感じがしますね。

昔、『戦士の休息』って歌がありましたけど(映画『野生の証明』テーマ)、「男は誰も皆 無口な兵士 笑って死ねる人生 それさえあればいい」って歌詞、まさにそうですね。

 

チャップリンの陰に隠れるようであった名優、バスター・キートン(だったと思いましたが)の最期の言葉が「素晴らしい人生だった。本当だよ」

恐らく、少なくとも、安定に浸った人生の終わりに、そうは言えないのだろうな。

勝手な内容の記事、スミマセンね。

でも私、このアス高を作ったこと、言うまでもなく後悔していませんよ。