A CREAKING GATE (軋る門)

雨ですが、これは入梅したのでしょうか。

昨日は公園で体育。雨天なら中止の予定でしたが、滑り込みの好天で皆楽しく…(私は痛めている箇所があり、更に疲労ピークでおとなしくしていましたが)。

やはりアス高は神の御加護がありますね。

 

ところで、英語の諺に" A creaking gate hangs long(est)." とかいうのがあります。

直訳すれば「軋る門は長持ちする」

つまりは、「(立派なものより)病弱な者の方が長生きするものだ」ということらしいですが、私はこの諺の意味を、長らく自分なりの解釈で考えていました。

「軋る」というのを文字通り「うるさい」と取って、「我慢して何も言わずに耐えている者より、愚痴を吐き出している者の方が(ストレス等に)持ち堪えられる」と思っていたのです。ただ、私としてむしろその解釈の方が的を得ているように勝手な満足に浸っているのですけれど。

黙って耐え忍ぶというのは、言わば日本の伝統的な美徳というか、特に男のあり方として好ましく考えられるものなのでしょう。それはそれで格好いいのかもしれません。

ただ、それこそこれは私の勝手なスタンスですけれど、私はアス高が生徒らにとって「吐き出せる」場であればと思っています。尤もそれは、不快感を表情や言動に露わにするということではなく、弱いところを出したかったらそれでもいい、疲れたらそれを押し殺さなくてよい等のことです。

しかし、私はそれで失敗をしてしまったようなのです。

私は特に昨日、疲労等がピーク状態で(それを黙っていることは出来たのですが)それをバカ正直に殊更口にしていたのです。ただ、前述の通り、それを‘不快感’としてしかめっ面をしていたのではなく、自嘲的に笑いながら「つっかれたlぁ~」「きっつ~」という調子でしたが。

私の中で冷静な考えとして、それこそ皆が弱いところ(くどいですが‘不快感’ではなく)を出してもいいじゃないかという、言わば先兵として、まず俺が言っちゃえ、と意図的にだらしなくそうやらかしていた感じでした。「皆、気張らずにリラックスしていいんやで~」というか。まぁ実際に疲れていたのもあるにはあったんですが。

当たり前ですけれど、例えばリングで相手と殴り合いの試合してる時とかなら、自分の弱いところや疲労は絶対に悟られないようにしますが。

私などは、気を張っている人よりむしろ弱いところでも晒している人の方が近くにいてリラックス出来るのですが、しかし、これが却ってヒンシュクだったみたいで…。

言い訳するつもりはありません。

ですが、Nobody is perfect. Me, either.です。

ただ、この学校の性格上、ここが、溜めているものを楽に吐き出せる場所であればとは思っています。

 

期せずして、昨日、生徒への話で自殺云々のことも少し触れました。

先日、本田圭祐氏の自殺に関するツイートが槍玉にも挙げられていましたが、この国での自殺率の高さ…。

私は日本の伝統文化や価値観はとても好きなのですけれど、半面、「我慢しなさい」「愚痴を言うな」「黙ってやれ」「それが男だろう」という抑圧が人の心を苦しめているのかもしれません。

 

勿論、私は人を不快にしたくありませんので、意図的に(笑いながらでも)弱いところを晒すのは控えようと思います(ちょっと癖になっているところがあるので、つい出てしまうかもしれませんが)。

けれど、生徒については受け入れてあげたいと思います。

嫌な表情や攻撃的な言動はいけませんが、疲れたら疲れたと言っていい、嫌なことがあったら吐き出していい。

自分だけじゃない、他の人も、ましてや偉そうに学院長である私も普通の人間なのですから。

 

皆が弱いところある。でも、自分の弱さを認めつつ前に進んでいきたいと思っています。