ワーカホリック

今週、HRの時間に仕事というものを少し話題にしたんですが、どんな仕事・職場を選ぶかについて、「(出来れば)仕事はしたくない」との意見も…。

 

このところ、よく学校教員の労働条件の劣悪さ、多忙さが指摘されてニュースなどにも なっているようですね。

確かに私も学校(全日制)に勤めていた頃は(「頃から」かな)朝早く学校に来て、途中の休憩などとらず、夜遅くに帰る生活。土日も部活動などで学校に行ってましたし…。

それは今も変わらずで、月月火水木金金ですけどね。

ただ、私はそれが全然苦でないというか、むしろ、休みの日の学校へ来てはいけません、休日は仕事をしないように、などと言われたら困ると思います。

仕事が追いつかないから困るのではなく(それもありますけれど)、好きでやっていることを奪われたくないんですよね。

もし来るなって言われたら…。どしよっか?

仕方なく走っているか釣りにでも行ってるか…。でも、そんな時間つぶししてるのは勿体ない。

尤も、走りながら、水面を眺めながら、頭の中は学校(生徒)のことを考えてるでしょう。

私はアス高で、‘雇用者’ではないので、無理に休みを取らされることもなく、好きなだけ仕事(=好きなこと、やりたいこと)を出来るので、ある意味ラッキーかな。

 

仕事に何を求めるかというのは、それこそ人の価値観によるのでしょうが、お金が目的で時給働きであれば、それこそ早く仕事終わらないかな、とか思うのでしょうけれど、むしろ自分は(給料が出なくても)仕事場に居たいというか…。

これまで多くアルバイトとかもしてきましたが、私自身、そうした仕事なら楽にお金が入ればそれに越したことはないと考えるでしょう。

でも、ここで生徒らを教えるのは、私にとってそういう仕事ではありませんから…。

 

これまで途上国でボランティアみたいに無給の仕事(学校で子供らを教えたり)などしても来ましたが、お金がもらえなくても、子供らと接するのが好きでやっていました。それと似ているのかもな…。

 

何か、今の世の中は働き過ぎが悪みたいに見られてますけれど、ある意味、‘そういう仕事’にしか巡り合えていない人って気の毒だな。

 

HRで少触れたんですが、故・手塚治虫氏の病床での最期の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったとのこと。

私、これ分かるんですよ。

でも今の世なら、精神を病んだワーカホリックとしか見てもらえないのかも。

 

手塚氏は、仕事をさせてくれ(=作品を描かせてくれ)という崇高な、生きる目的があったのだと思います。

 

私は氏のような高いレベルものではないですけれど、でも多分、最期の病床にあったら「頼むからアス高(生徒らのいる所)に行かせてくれ」と思える気がします。・・・生徒からすればいい迷惑かもしれませんけどね。「来んでいいっ」とかね。^^;

でも、そういう仕事を持っている自分って幸福な気がします。

 

さぁ、この週末も頑張ろう。

また週が明けたら生徒らが来てくれるから。。。