25回忌

昨日、4月25日は尾崎豊の命日でした。

もうあれから25年…。

昨日、昼のHRで、尾崎の一種のドキュメンタリー的な動画を来ている人で見ていました。

私は所謂、尾崎信者というのではなかったですが、何かしらの影響を受けたのは事実でしょう。

今の10代、20代にとって尾崎豊というのはどういう伝えられ方、受け取られ方をしているのだろう。

 

80年代、尾崎は言わば当時の学校や社会からやり切れなさを感じて姿を現してきた訳なのでしょうが、今の学校を見て尾崎は何を感じたのだろう。

 

学校は良くなってる?

世の中は改善されてる?

人は、若者は幸せになった?

 

こういう言い方は如何にも歳を取った者にありがちな懐古的感じ方にとられてしまうかもしれませんが、端的に言えば、昔の方がシンプルでよかった気もする。

やり切れない怒りを叫ぶ、やり場のない葛藤を嘆く…。

傷つけあっても互いが直にぶつかり合っていた気がする。

そうした、外向きのエネルギーがあった。

今はどうだろう。

 

世の中、余りに複雑になり過ぎてる気がする。

自分みたいに単純な人間にとっては住みにくくなった。

でも、そう思うなら、自分はこの学校で自分が正しいと思うことを言っていきたい気がする。

勿論それを押し付ける気はないですけどね。

 

一生懸命生きる

人との和を大事にする

自分を磨く 強く 優しく

人間らしく

 

尾崎が私の立場(学校の設立者・代表者)なら、どんな学校を作ったんでしょうね。