もう晩秋ですね。
外は雨がしとしとですけど、私は午後からサッカーの仕事もあり…。
思えば1986年から30年。
あの年は私にとって色々と思い出がありまして…。
私はアス高では、主に高校生を教えている訳ですが、私はこれまで国内外合わせて、小中高の学校で教えてきています。
時々思うのですけれど、中高の教師、特に高校で教えている人は、小学校でも教えてみるべきだと感じますね。
タダでさえ、教員というのは世間の常識が無いとか視野が狭いと言われがちですけれど、人の成長段階の、ほんの決まった3年間の部分だけを見ていても、というか。
それと、高校と小学校で顕著に違うのは、職員室の雰囲気(+先生方の笑顔)なのかもしれません。
これまで、小学校や中学校で教えていた同じ生徒を、後に中学や高校(上級学校)で、また教えるということが何度かありました(ドラマにありそなケース?)。
昔教えた子達を、数年後にまた教える。家庭なら親御さんが自分の子を何年も見続けて育てていく訳なんでしょうけれど、教師としてそういうことを経験するのも面白いものです。
私、小学校で教えるの、ダイスキです。
それがあって、今も外国に行くと、小学校を訪れちゃうんですけどね(写真は2年前に行ったラオスの小学校)。
当たり前ですが、子供らに‘人として変なこと’を教えてはいけない。
小学校だと、むしろこちらが子供達から教わることの方が多いのかも…。
自分自身が、子供らに恥じるようなことをしてはいけない。
子供らは、大人を見て育つのだ。
前に述べた1986年というのは、小学校で初めて教えた年でしたが(教育実習でしたけど)、不覚にも泣いてしまったんですよね(私はティーンエイジ(13才-19才)の間、一度も泣いたことがなかったのですが)。道徳の授業で、私が自身のことについて話した時、延々と泣き続けてくれた子供達もいました。
思えば、あれが私の教師としての原点だったのかも。
‘心が洗われる’という言い方がありますけれど、そんな日々でした。
そう、1986年の11月。
今、私は高校で教えていますけれど、基本的に‘心構え’としては、小学校で教えている時と同じです。
というか、それを忘れてはいけないと思ってますし。
確かに、生徒等は成長するに従って、‘現実’というものと戦わなくてはならないのでしょう。
けれど、忘れてほしくないな。
人として、純粋なものに感動する心や、打算のない生き方。
あれから30年経った今、もう一度自分を見つめ直さなきゃ。
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