20年後の答え

 台風18号の接近で暴風雨の予報であったのが、妙に穏やかな天気で、却って不気味な今日…。

 

 私的なことなのですが、先日、アス高のメアドに、私宛のメールが届きました(以下、一部抜粋)。

 

 

山本先生

こんばんは。

20年近く前に〇〇中学校でお世話になった◎◎です。(覚えてますか?)

久しぶりに、自宅の本棚を整理していたら、ヤマメのキョウタが目に留まり、「先生、今何してるかなぁ」と思って、先生の名前を検索したところ、アスキ高等学院のHPを発見しました。

先生、遅くなりましたが、開校本当におめでとうございます。すごく嬉しかったです。

そして、アス高の生徒さん達が羨ましく感じてしまいました。だって、先生が学長の学校、面白くないわけないじゃん!!って。

自分の中では10代の頃、死んでもいいと思っていた自分が今の自分を見たときに生きててよかった、かっこいい大人になっててよかった そう言える人間になっていこうというのが、自分の人生のテーマです。

時に失敗し、躓いて、それでもタダじゃ起き上がらない。何ものにも、揺るがない自分を作り上げていく。

どんな仕事に就くかとかじゃなく、どう動いたか。

そんな事をアス高のHPを見て改めて思いました。

先生、本当にありがとうございます。

P.S

正月に松江に帰ったら、アス高遊びに行ってもいいですか?

 

教師やってて一番嬉しいことの一つは、こうした、かつての生徒からの便り。嬉しいですね。

このメールをくれたのは、担任でもなかったのですが、勿論よ~く覚えています。

自分を持った、情に厚く、骨のある生徒でしたよ。

ただ、今の自分を見てみると、正直なところ、忙しさに忙殺されて、自分で納得のいく仕事が出来ていないのが不本意なのだけれど。

若い頃、私は時々、先輩の先生方から、注意されることがありました。

「アナタは教師らしくない(不適だ)」

「アナタは生徒からウケがいいかもしれないが、それは若いからだけのこと」

「いずれ何年か経つと分かりますヨ」

・・・etc.

 

私が生徒だった頃は、こう言う先生もいらっしゃった。

「今、嫌がられている先生も、大人になって、その有難みが分かるものですヨ」

ただ、私は、自分が大人になっても、当時、嫌だった先生は嫌なままなのですけれど…                                              。

 

最近、ある話の中で、こんな台詞がありました。

「いい先生と思われるかどうかなんて、どうでもいいこと。そんなことは10年後か20年後に子供たちが決めること」

 

私、正直に言って、自分がいい教師だなんて思っていません。

もしも、そう思ってくれてる人がいたら、それは誤解というか、買い被り過ぎですしね。

ですが、単純に、素直に、20年も経って自分という人間を覚えてくれてるのは本当に嬉しいです。

これよりもっと前に教えていた生徒らから今でも年賀状とか来ますしね。

本当に感謝です。

 

今、アス高にいる生徒達は20年後に、元気で幸福になっていることは想像つきますが、私自身はどうなってるんでしょうね。

いつでも卒業した生徒が帰ってこれる、この学校でありたいものです。