愛情の無い厳しさ

 

 

ネコ好きの私

 

 もう何年も前ですが(愛猫、みゅーを飼い始める前)、冬の寒い日のこと、野良猫に餌をやってたことがあります。やってしまったというのが適当なのかもしれません。情に流されたとはいえ、ネコ自身のためを考えてもよくないことなのですから。もしかしたら、途上国でホームレスに施しをするのもそうなのかもしれません。

 

 

 ところで、前に勤めていた学校(通信制高校のサポート校)で、こんなことがありました。夏のある日、ある生徒が、食べ終わった弁当箱を置き忘れたまま家に帰ってしまったのです。暑い季節のことなので、翌日まで放置しておくと、次に蓋を開けた時、恐らく臭いがするようになっただろうと想像がつきます。

 

 その弁当箱の処置について、それに気づいたある職員は独り言のようにこのようなことを言っていました(正直、意地悪そうな表情で)。

 

「このまま彼のボックスに入れておいてやるか。夏の日に弁当箱を放置するとどういうことになるか、分かるようになるだろう」

 

 その後のこと、別の職員がその生徒のボックスから弁当箱を黙って一旦取り出し、それを洗剤で洗ってからまた戻しておいたのです。恐らく、初めの職員に気付かれないように。

 

 これはある意味、初めの職員の狙った教育的措置を妨害してしまったのかもしれません(但し、残念ながらその職員がその独り言を言っていた時、前述の通り、愛情的な意図は感じられなかったのですが)。これについて私はこう考えたのです。

 

『後日になって弁当箱を持って帰って開けた時、嫌な臭いがしたら、開けた人(恐らくはお母さん?)はどういう気持ちになるだろう。逆に、洗ってあったらどう思われるだろう』

 

 また、こう想像しました。

 

「弁当箱を開けた時、それが洗ってあることに気づかれるだろう。そうした場合、今度は、もしその生徒自身やお母さんが、他の誰かの弁当箱が放置されているのを見つけたら、恐らくその弁当箱を同じように洗ってあげるだろう(弁当箱の忘れ物に限らず、困っている誰かを見かけた場合の一般論として)」

 

 人に何かしてもらったことが連鎖的に次へ渡されていく。…‘恩送りと言われるものですね。そして、それが広がっていったら良いだろうなと

 

 でも確か、その弁当箱を洗ったのが誰であるかは、本人は気づかなかったように覚えています。またそれと、弁当箱を洗った方の職員は、今はもう、その学校は辞めているらしいです。

 

 

 ただ、実際のところ、そうしたことが本当に本人のためなのか(よいことなのか)は分かりません。初めに述べた、野良猫への餌やりにしても、自分は良かれと思っていても、実際にはどうであるのか。 

 

 厳しさを欠いてしまい、サービス過剰であることが、人を育てる上でマイナスになることもあり得るかもしれません。不登校というものに対しても、もしかしたら厳しく対処することの方が良いのかも。正直、分からない。

 

 しかし少なくとも言えるのは、優しくするのであれ、厳しくするのであれ、心に愛情を持っていなければならないということです。むしろ、父親の(男性の)あり方としては、愛情をもって厳しくというのが、あるべき姿なのかもしれません。

 

 逆に、愛情の無い厳しさというもので子や生徒に接する大人がいるとしたらどうでしょうね。